真夜中おやつ

音楽と紙と料理、そして猫が好きな人の日記。

2011.3.11

今日は2016年3月11日。
あの日から5年が経った。

今わたしは長野に住んでいて、これから千葉に帰るところだ。
3月11日は、母の誕生日だから。


東日本大震災に関しては、思うところがありすぎて深すぎて、これまで文章にしようかと思ってはやめていた。
でも今日は、5年の節目ということで書いてみようと思う。
長くてまとまらない文章になると思うけど、あったこと思ったことをそのままに。
自分が記しておきたいから。


2011年3月11日、わたしは大風邪をひいて仕事を休んでいた。
そのころのわたしは、転職前ということで一人暮らしのアパートを引き払い、実家で暮らしていた。
ちょうどひと月前の2月11日に実家に戻ったところだった。
(同年の11月には一人暮らしを再開するので、震災のときにたまたま実家にいたのは本当によかったと思う)

扁桃腺がやられていて、声が出なかった。
ガラガラ声しか出ない、という意味ではなく、本当にほぼ無声だった。息みたいな声しか出ない。
それでも体調は快方に向かっていたので、今日は母の誕生日だしコンビニケーキくらいは買いに行こうかなと思い、布団を出て着替えたところだった。
14時46分。

仕事から戻ってきた母が、居間でお茶を飲んでいた。
お茶あるよ、と言われたのでわたしもお茶をついでもらった。
コンビニ行くね、と筆談で伝えた。
母がテレビを見ていたので、わたしもなんとなく見た。
そのとき、これまでに経験したことがない大きな揺れを感じた。

それでも数秒間はそこまでの揺れではなかったように思う。
お茶が溢れてしまうので、手で抑えようとした覚えがある。
そのうち、座っていても体勢が崩れてしまうほどの大きさに変わった。
お茶はじゃぶじゃぶと溢れ出した。

テレビがすごく揺れていて倒れそう。
そう思って、無意識にテレビに近づいたところを母に止められた。
危ないから、とにかくテーブルの下に入れと。
はっとして、言われた通りにした。
こわかった。
ただことではない、ということだけははっきりとわかった。

わたしはそのとき千葉の北東部に住んでいたので(地域に分けるとそうなるけど、本当はわりと南の方というか、房総でいえば真ん中くらいです)、九十九里で起きた地震なのだろうと思った。
でも、違った。

わたしはそのときスマートフォンに替えたばかりだったのだけど、これほどスマートフォンに助けられたことは後にも先にもないだろう。
電話はつながらなかったけど、Twitterを通じて友人の安否を確認したり、全国の状況を確認することができた。
余談になるけど、あの大震災がなかったらスマートフォンはここまで急速に普及しなかったのではないだろうか。

そのときのわたしは、ちょっとした遠距離恋愛中だった。
まだつきあったばかりの人だったけど、彼が名古屋に引っ越すことになり、次に会えるのは6月末と決まっていた。
でもすでにうまくいっておらず、わたしはもう別れるつもりだった。
だけど、会えない状態で派生した気持ちを会えないまま終わらせるのはいやだったし、別れるにしても6月末だなと思っていた。
多分、相手も同じように思っていたと思う。

彼の安否もTwitterで知ることができたので、ネットは偉大だありがたやと思っていたのだが、そうもいかなかった。
名古屋ではそこまで揺れなかったこともあり、わたしと彼の心境の溝が浮き彫りになった。

まずわたしは、母には止められたがコンビニに向かった。
ケーキを食べる気分ではなかったけど、ペットボトルの水や食品を買いたかったから。
歩いていくと、コンビニに入る前から不穏な空気が伝わってきた。
中に入るとそこは人でごった返しており、店員はとても忙しそうだった。
皆ピリピリしていて、店員に怒鳴っている人もいた。
店員は泣きそうな顔をしていた。
レジには行列ができ、すでに棚はスカスカだった。
行列の最後尾に並んでいたおじさんは、カップラーメンや飲み物が入ったカゴをそのまま持って店の外へ出ていってしまった。
店員はもうあきらめたのか、ああ、という顔をしたけれど追うことはしなかった。
持ち逃げする人なんて初めて見た。
いつものコンビニが、もう別の場所のようだった。

大変なことになった。
なんだかよくわからないけど、こわい。
わたしはさらに強くそう感じ、何も手にすることなく店を後にした。

夜、いつもより遅い時間に父が帰宅した。
両親は喫茶店を経営しているのだが、お客さんが全員出られるまで時間がかかったのだと言う。
電車はもちろん止まった。大津波警報も出た。
今日中に電車が動くことはないです、と明言されたのが19時ごろだったそうで、帰れなくなった人がどこに泊まるかが決まったのはそれから数時間後。
(ちなみに、ビジネスホテルの空き部屋や市民センターや市営スポーツ施設などを無料開放して泊まってもらうことになったそうだ)

その日は何度か大きな余震があり、余震がくるとわかっていても、揺れるたびに震えあがった。

風邪が幸いして布団を出しっぱなしにしていたので、本やガラス棚が倒れていたけど無傷。
布団はそのまましばらく敷いておくことにした。
夜中に地震があってもすぐにもぐりこめるから。

猫たちは、震度5を超えるとパニックになりどこかへ走ってもぐりこんでしまう。
震度3〜4なら平気なようだった。揺れの種類にもよるけど。
そういえば、揺れの大きさは震度だけじゃ測れないなんてこと、この震災まで知らなかったのに身をもって体感した。
そして、余震続きでもう皆体感で震度がわかるようになったよね。
これも考えてみれば恐ろしい話だ。

ひとまず、3月11日の話はこれでいったんおしまい。
翌日からのことは、また別の記事で。