真夜中おやつ

音楽と紙と料理、そして猫が好きな人の日記。

2011.3.12〜

地震があった翌日。

迷った末、わたしと母で店を開けることにした。

まだ開けていない店も多く、開いているスーパーやコンビニでも商品棚はガラガラ。
仕込みもままならないけど、とにかく開けようということになった。
昨日、たまたまこの街に来て帰れなくなった人たちが来ると思ったから。

案の定、駅前の喫茶店には千葉県外に住んでいるお客さんが集まった。
昨日の夜ここにいたお客さんが多かった。
集まった、といっても席の半分以上は空いていた。
大津波警報が出ているうちは電車は動かせない、とのことだった。
だから地元の人間はほとんどが外に出なかったのだと思う。そんな気分でもなかっただろうし。

そしてその日のニュースで、これが東北を震源にした地震であり、未だかつてない規模の津波があったことを知った。
ようやくわたしたちは事態を把握し始めた。


今日は特別なので、充電も通話もご自由に。
なにかわかったら共有しましょう、大きな声で話してけっこうです。
何も頼まずに何時間いても大丈夫。

少しは出るようになった声でそう伝えた。
ウィスパーボイスしか出なくても、店に来る理由があった。
店には昨日までの残り食材があったので、それをふるまった。
わたしの携帯電話はまだ通じなかったけど、関西や東海から来たお客さんの携帯電話は通じていて、家族や会社に状況を伝えたりしていた。
アクアラインを通る高速バスが動き始めて全員を送り出すまで、いつもはばらばらの1番テーブルも8番テーブルも、皆で声をかけあって過ごした。
お客さんが店を出るとき、目を見て「ありがとうございました。気をつけて」と言った。
お客さんも「ありがとう」と目を見て言った。

それはとても貴重な体験で、わたしは喫茶店に生まれて喫茶店の仕事をしてきてよかったなぁと思った。
日常のひとときを少しいいものにするのが喫茶店の役割だと思ってきたけど、非日常といえるものを整えることに役立てたこと、日常を立て直すお手伝いができたことで一歩先に進めたような気がした。

それにしても、本当に何もなかった。
特に、米・パン・水・カップラーメン・トイレットペーパーは全くと言っていいほどなかった。
家にあるぶんが尽きたらどうしよう、と不安になったが、母が自信満々に「大丈夫。物流が止まっている時期に皆が買うからなくなっただけ。家にあるぶんがなくなるころにはまた店に並ぶよ」と言うので、それを信じて自身を落ち着かせた。
店は大変だったけれど。

つきあっていた人は、呑気だった。
名古屋では普通に生活が進んでいるらしく、それはもちろんいいことなのだけど、「今日はおいしいパン屋に行った」「こっちでもミネラルウォーター売り切れちゃうのかな」「おれ停電とか無理だなー」とか無神経なことを言うので、だんだん彼のことが嫌になっていった。
震災がきっかけで結婚した人は多いと聞くけど、別れた人もかなりの数いたんじゃないかと思う。

いざというときに歩みが合わないというのは別れを考えるには十分な理由だし、価値観の違いを気づかせるきっかけにもなってしまったのではないかと思う。
夫婦に限らず、この震災で、これまでに見えてこなかった問題が発生して(原発のことが顕著な例だけど、それまで論じることも避けてきた人はわたし含めたくさんいるはず)関係がうまくいかなくなった、というのは少し悲しいことだなと思う。


さらにわたしたちを疲弊させたのは、計画停電だった。
わたしは停電がいちばん多いブロックに住んでいたこともあり、その中で店を営業するのは大変なことだった。
最初は停電の少し前に閉めていたのだけど、あまりにも停電が多いのでこのままでは大赤字になるところだったし、お客さんから「何も出さなくていいし暗くていいから、このままここにいさせてほしい」という声が多くあったからだ。
※停電のあいだはお客さんも身動きがとれないので

停電中に仕事をするのは大変だった。
計画的に充電して、キャンドルに火をつけて、ガスは使えるから火を使って調理できるものだけ出した。
そして、信号もついていない道を帰るのだ。
何をするにも神経を使ったし、その間にももちろん何度となく余震があった。
そのたびに火を消し、皆で大丈夫ですかと言い合った。

電車もなかなか動かなかった。
駅のシャッター前には、説明のためか駅員さんが二人立っていた。
そこにヒステリックな人がやってきて、駅員さんになにかまくし立てているのも何度か見た。
わけのわからないことを怒鳴り散らし、手をあげようとする人もいた。
彼らもこの地震で神経が昂ぶってしまっているのだろう。薬が取りに行けないのかもしれない。
そう思うと、悪者はいないのに悪いとしか言えないこの状況がとても悲しく思えた。


父の友人であり、昔からうちの店に来てくれているのでわたしも子どものころから知っているおじさんが亡くなった。
持病があったそうで、地震の後、発作を抑える薬が切れて亡くなったのだそうだ。
こうして間接的に震災の影響で亡くなっている人は多いのだろうな、と思った。


わたしもまたナーバスになっていた。
数年前に罹患したパニック障害がようやく良くなってきて通院もやめたところだったのに、また病院に行くことになった。
そういう人は多いよ、と医師は言った。
そりゃそうだよな、と思いながらも、それで安心などできるはずもなく塞いだ気持ちで日々を過ごした。

テレビも見たくなかったし、大好きな音楽も聴く気になれなかった。
だけどニュースを見ないと現実から目を背けているような、東北の人たちに申し訳ないような気がして、それはそれで気が滅入った。
余震があったらと思うと、仕事以外に外に出る気にもなれなかった。
停電のせいで時間が自由に使えなかったこともあり、敷きっぱなしの布団の上でただグズグズしていた。


でもやはり、時間は偉大だ。
1〜2週間経ったあたりで、自分がするべきことは普通に暮らすことなのだと気がついた。
悲しんでいても傷ついていても仕方ない、もっと悲しい人も傷ついた人もいるのだから。
そう思って毎日を過ごしたが、その思いこそが自分を追い詰めたのだと後になって思う。

ひと月ほど過ぎて、悲しんでいいのだ、と思うことにした。
わたしよりつらい思いした人がたくさんいるからといって、わたしはわたしでつらいのだったらそれはそれで認めてあげようと思った。
いつもの自分が0として、津波の被害に遭った人が1000つらいとして、わたしはわたしで100つらいのだから、それを0のように振る舞おうとするのは無理があると気づいたのだ。
100ぶんは、つらいと言っていい。悲しんでいい。
悲しいときに悲しんだり立ち止まったりぐずったりすることこそ、普通に暮らすことなんだ。

そう感じ始めた人は多かったようで、わたしは呑気な恋人よりも同じように悲しみながら暮らしている人のほうが心を開けるようになっていった。


震災の後、すごく助けてもらったと勝手に思っているのがceroで、それは以前の記事にも書いた。
プライベートのぐちゃぐちゃも含めて、勝手にceroに救われ続けている。
ceroも確実にあの震災を意識しながら音楽をつくっていると思う。

そのceroが、5年間で大きくなり、何倍もの観客を集められるようになり、2016年3月7日のSMAP×SMAPに出演したことが、自分のなかでずーんときてしまった。
幼稚な表現で申し訳ないけど、他になんと表現すればいいかわからない。
嬉しいとも違う、感動とも少し違う、なにか。


ceroの記事でも書いた通り、わたしはその後同じような重さを抱えた(と思えた)人を好きになり、その人とつき合うようになり、また別れ、もうわたしはだめだ、運命の人と思った人でもだめだった、なんて思ったのですが、今は結婚して平和に暮らしている。
だれかとつき合い始めると同時に別れの心配をしていたようなわたしが、交際期間がほとんどなかった今の夫と結婚して一度のケンカもせずに暮らしている。
そんな奇跡があるのだから、生きているうちは生きることに尽くさなきゃいけないな、と思うわけです。
なにもできないときはしなくてもいい。
なにかできるかもっていうときに動きさえすれば。

この5年で、動き出したスピードは人それぞれだと思う。
でも、5年前のあの日をなにかの区切りにして動いている人がほとんどなんじゃないのか。
忘れることはないだろうけど、薄れてはいく日々のなかで、一度書きとめておきたかった。


もう5年、まだ5年。
わからないけれど、わたしはわたしのできることをしながら、泣いたり笑ったりしながら生きていこうと思う。

ひとまず、実家に着いたら母に「誕生日おめでとう」と言ってプレゼントを渡そう。









2011.3.11

今日は2016年3月11日。
あの日から5年が経った。

今わたしは長野に住んでいて、これから千葉に帰るところだ。
3月11日は、母の誕生日だから。


東日本大震災に関しては、思うところがありすぎて深すぎて、これまで文章にしようかと思ってはやめていた。
でも今日は、5年の節目ということで書いてみようと思う。
長くてまとまらない文章になると思うけど、あったこと思ったことをそのままに。
自分が記しておきたいから。


2011年3月11日、わたしは大風邪をひいて仕事を休んでいた。
そのころのわたしは、転職前ということで一人暮らしのアパートを引き払い、実家で暮らしていた。
ちょうどひと月前の2月11日に実家に戻ったところだった。
(同年の11月には一人暮らしを再開するので、震災のときにたまたま実家にいたのは本当によかったと思う)

扁桃腺がやられていて、声が出なかった。
ガラガラ声しか出ない、という意味ではなく、本当にほぼ無声だった。息みたいな声しか出ない。
それでも体調は快方に向かっていたので、今日は母の誕生日だしコンビニケーキくらいは買いに行こうかなと思い、布団を出て着替えたところだった。
14時46分。

仕事から戻ってきた母が、居間でお茶を飲んでいた。
お茶あるよ、と言われたのでわたしもお茶をついでもらった。
コンビニ行くね、と筆談で伝えた。
母がテレビを見ていたので、わたしもなんとなく見た。
そのとき、これまでに経験したことがない大きな揺れを感じた。

それでも数秒間はそこまでの揺れではなかったように思う。
お茶が溢れてしまうので、手で抑えようとした覚えがある。
そのうち、座っていても体勢が崩れてしまうほどの大きさに変わった。
お茶はじゃぶじゃぶと溢れ出した。

テレビがすごく揺れていて倒れそう。
そう思って、無意識にテレビに近づいたところを母に止められた。
危ないから、とにかくテーブルの下に入れと。
はっとして、言われた通りにした。
こわかった。
ただことではない、ということだけははっきりとわかった。

わたしはそのとき千葉の北東部に住んでいたので(地域に分けるとそうなるけど、本当はわりと南の方というか、房総でいえば真ん中くらいです)、九十九里で起きた地震なのだろうと思った。
でも、違った。

わたしはそのときスマートフォンに替えたばかりだったのだけど、これほどスマートフォンに助けられたことは後にも先にもないだろう。
電話はつながらなかったけど、Twitterを通じて友人の安否を確認したり、全国の状況を確認することができた。
余談になるけど、あの大震災がなかったらスマートフォンはここまで急速に普及しなかったのではないだろうか。

そのときのわたしは、ちょっとした遠距離恋愛中だった。
まだつきあったばかりの人だったけど、彼が名古屋に引っ越すことになり、次に会えるのは6月末と決まっていた。
でもすでにうまくいっておらず、わたしはもう別れるつもりだった。
だけど、会えない状態で派生した気持ちを会えないまま終わらせるのはいやだったし、別れるにしても6月末だなと思っていた。
多分、相手も同じように思っていたと思う。

彼の安否もTwitterで知ることができたので、ネットは偉大だありがたやと思っていたのだが、そうもいかなかった。
名古屋ではそこまで揺れなかったこともあり、わたしと彼の心境の溝が浮き彫りになった。

まずわたしは、母には止められたがコンビニに向かった。
ケーキを食べる気分ではなかったけど、ペットボトルの水や食品を買いたかったから。
歩いていくと、コンビニに入る前から不穏な空気が伝わってきた。
中に入るとそこは人でごった返しており、店員はとても忙しそうだった。
皆ピリピリしていて、店員に怒鳴っている人もいた。
店員は泣きそうな顔をしていた。
レジには行列ができ、すでに棚はスカスカだった。
行列の最後尾に並んでいたおじさんは、カップラーメンや飲み物が入ったカゴをそのまま持って店の外へ出ていってしまった。
店員はもうあきらめたのか、ああ、という顔をしたけれど追うことはしなかった。
持ち逃げする人なんて初めて見た。
いつものコンビニが、もう別の場所のようだった。

大変なことになった。
なんだかよくわからないけど、こわい。
わたしはさらに強くそう感じ、何も手にすることなく店を後にした。

夜、いつもより遅い時間に父が帰宅した。
両親は喫茶店を経営しているのだが、お客さんが全員出られるまで時間がかかったのだと言う。
電車はもちろん止まった。大津波警報も出た。
今日中に電車が動くことはないです、と明言されたのが19時ごろだったそうで、帰れなくなった人がどこに泊まるかが決まったのはそれから数時間後。
(ちなみに、ビジネスホテルの空き部屋や市民センターや市営スポーツ施設などを無料開放して泊まってもらうことになったそうだ)

その日は何度か大きな余震があり、余震がくるとわかっていても、揺れるたびに震えあがった。

風邪が幸いして布団を出しっぱなしにしていたので、本やガラス棚が倒れていたけど無傷。
布団はそのまましばらく敷いておくことにした。
夜中に地震があってもすぐにもぐりこめるから。

猫たちは、震度5を超えるとパニックになりどこかへ走ってもぐりこんでしまう。
震度3〜4なら平気なようだった。揺れの種類にもよるけど。
そういえば、揺れの大きさは震度だけじゃ測れないなんてこと、この震災まで知らなかったのに身をもって体感した。
そして、余震続きでもう皆体感で震度がわかるようになったよね。
これも考えてみれば恐ろしい話だ。

ひとまず、3月11日の話はこれでいったんおしまい。
翌日からのことは、また別の記事で。





シャムさんのライブについて

ライブについては翌日書きます、と書いてから3日たちました。ごめんなさい。

 

シャムキャッツのライブは、とにかく楽しい。

 

まず、ライブのときの四人がそれぞれほんっとかっこいいです。

夏目さんは色っぽくもやんちゃだし(女子は「んもー!♡」ってなるよそりゃ)、菅原さんのぐねり具合はきゅんとくるし、バンビさんはキレッキレのイケメンになるし(イケメンなんて俗っぽい言葉で表現するのもなんですが、ライブで見るたび「イケメン…」と思ってしまう!)、藤村さんのドラムは霊か神がのりうつってるんじゃないかってくらい轟きます。

ライブってついついお気に入りのメンバーばかり見てしまいがちですが、シャムキャッツのときは「あ~藤村さんかっこいい!なにこのドラムのばしっと感!と思ったらバンビさんしびれる~あ、ボーカルきたわやっぱこの声だよな~んでここのギターね!」ってな具合にめちゃくちゃ忙しいです。

それだけど結局、かっこよすぎて目つむったり天井のほうとか見てしまうのが私のシャムライブあるあるです。

 

ちなみに私は、できるだけバンビさんと夏目さんの間あたりで観ています。

だってあのポジションだとキレキレベースがよく聴こえるし、夏目さんと菅原さんのわちゃわちゃも見えるし、藤村さんもよく見えるんだもん。

藤村さんのドラムが本当に好きで。なんか目もギラギラしてるし、親の仇かってくらい魂こもったドラムには毎回ぞくぞくします。

(テクニックのことがわからないからって感覚的な褒め方になってしまって申し訳ない…)

 

でもシャムキャッツのファンって(東京だけという噂もありますが)わりとおとなしいんですよね。。

メジャー路線からちょっと離れたオシャレな若者が大半なせいか、棒立ちでゆらゆら派が多いなと。

いや、それが悪いっていうんじゃないですよ。もちろん踊るも踊らないも、楽しみ方は人それぞれ。

でもでも、「これで踊らんでかっ!」という気持ちになってしまう私は、シャムライブで知り合った大学生と「シャムキャッツ盛り上げ隊」を結成し、「最前の他客がゆらゆらムードでも無視して好きに踊る」という活動を行っています。

あれね、空気もあると思うのよ。本当はもっと踊りたい人いると思ってね。

「あれ?これって踊らない方がかっこいいの?」とか思って合わせてるハタチくらいの子いるよ多分。

踊りたくない人が無理して合わせることはどうせないだろうし、最初はクールぶっていた私も(初見の4曲目くらいまでは我慢してたんですよね、ただでさえ若い子ばっかの中で目立ちたくなかったし…でもライブで踊るの我慢とか超つまんないですからね)好き勝手にやるようになりました。

他のライブではそんな経験ないけど、終演後に「すごい笑顔で跳ねてましたね!こっちまで楽しくなりました!」と初対面のかたに言われたこともあります。

恥ずかしかったけど、なんだか嬉しかった。

 

もし「空気読んで」みたいな理由でゆらゆらに留めている人がいたら、そんなの振りきっちゃえばいいのにって思います。

空気なんて読まないで感じたり楽しんだりできるのが音楽だもん。

もちろん、迷惑になることはダメだけど、あとは好きに楽しんだらいいんですよね。

まあこれに関しては私がもやもやしても仕方ないことなのですが。。

 

シャムキャッツのライブを観ると、いつも「ばっちし!」って気分になります。

ばっちり、よりもちょっとダサくて愛嬌ある感じ。ばっちりなんだけど、まだイケる隙間がある感じ。

これからも楽しませておくれシャムキャッツ

 

 

 

 

 

 ※こういうのって、観た中でベストアクト決めたりするもんかな?と思ったけど、どれも楽しすぎてわからなかったのでナシです(笑)

よく憶えているのは、晴れ豆でホライズンと2マンを観たこと・猫の日に長野で初めて観たこと・新婚旅行中に観に行って旦那さんを紹介したこと(私に連れてこられたと思ったようで菅原さんが謝ってたけど、旦那さんはそもそもシャム出逢いです…!)・唯一「今日なんか変…?音が大きいばっかりって感じがする…」と思った日にPAのナンシーさんがいないと気づいたこと、です。ナンシーさん偉大。

 

シャムキャッツ!

やっとシャムキャッツのことを書くぜ書くんだぜ。

まずは好きになった経緯から。
最初は、名前だけ聞いてなーんか今っぽいとぼけたバンドなのかなー、くらいに思っていたし、You Tubeで見てもそう思っていました。
気をてらったような、それでいて奇抜というほどではなくオシャレな雰囲気もある、今の若者バンドだなぁと。
(わー、ごめんなさいごめんなさい。この後めちゃくちゃ褒めるから、まずは素直に思ったこと書かせて!)

 

なので、ちゃんと聴いてなかったんですよね。
でも、音楽において信頼できる年下の友人の口から何度か名前が出ていたので、なんとなく気になってアルバムを借りました。
で、聴いた感想。「うーん、いいかもね。でもなんかアクが強いかなー。20代前半なら好きになったかもなあ(当時すでに34)」と思い、リピートで聴くことはありませんでした。

それでも引っかかるものはあったので、しばらく経ってから再聴して、そのとき作業中でたまたまリピート再生してそのままにしてたんですよ。
そ!し!た!ら!
なにこれよくない?え、どう考えてもいいよね?すごいかっこいいじゃん、この曲がかな?いや、ちがう、全曲いいぞ!
…みたいな感じで、唐突にぐっときたんですね。それからはずっと聴いています。

これに関しては、自分が年をとったんだなあと思います。
若いころある程度いろいろな音楽を聴き、変に悟ったような気がしちゃってたんですよね。

それで、若くて勢いのあるバンドに関してはおなかいっぱいというか、あーはいはいわかりましたーみたいな気持ちが、言ってしまえば老人の懐古主義みたいなところが、無意識ながら自分にあったのだと思います。

そして、アクの強さを消化して本質を見る力が衰えていたのだと思います。

アクには旨みが含まれているというのに!



なんかめんどくさいこと書きましたが。

いいんですよ、若い人はそんなこと気にしなくて。老人のぼやきです。

普通に、聴いて感じたままに歌ったり踊ったり静かに頷いたりすればいいんです。ええ。

そんな経緯があったので、「シャムキャッツはこんなにいいのに、30代以降に受け入れられていないのではなかろうか?」という気持ちが拭えませんでした。
実際、アラフォーの友人にCDを貸したところ、私と同じ理由で聴けないと言っていたので。

しかーし!

AFTER HOURS が、出たのである。

私は、このアルバムはシャムキャッツの転機になるだけでなく、ファン層の広がりにもつながると信じています。
大人が聴いても疲れない、日常の風景を切り取ったかのようなアルバム。
ゆるいといえばゆるいけど、持ち味のファニーな感じもちゃんとある。ノスタルジックだけど湿っぽくない、色でいえばちょっとスモーキーなミントグリーン(MODELSのジャケットカラーまさに!)
ちなみに、私の中ではしけはビリジアンで、そこからだんだん明るいグリーンになってきているイメージ。
※どうでもいいけど、カタカナ連発しちゃってちょっとハズカシイ

シャムキャッツって、なんか変てこじゃないですか。
ジャンルもよくわかんないし、歌がうまいとか演奏がうまいとかじゃないし、かといって曲の良さだけじゃないし、変なカッコしてるし。

それこそが良さなのかなーとずっと思っていて、それははしけではぬらぬらと、GUMでは突き抜けて、たからじまではポップに色濃く表れていたと思います。

AFTER HOURSだと、ほのかに香るくらいの印象です。

今までのアルバムだと、音の骨組みと感情的なものの比率が3:7くらいの印象でしたが、これでは6:4くらい。と思う。

その代わり、彼らの音楽にそれまでほのかに香っていた郊外の空気感が今作では色濃く表れていると思います。

私は千葉県出身なので、この「郊外の空気」っていうのがピンとくるし好きなんですけど、今は長野に住んでいるので、聴いていると懐かしい気持ちになります。

 

余談ついでに書きますけど、シャムにはまり始めたのと浦安に住み始めたのがちょうど同時期で、勝手に運命的なものを感じてるんですよね。

好きになるべくしてなった…みたいな(笑)

あと、勝手に「もしかしたらメンバーのお母さんとすれちがってるかもしれない!」と思い、普段なら自転車で鼻歌うたっていることに気づいたら即フェードアウトさせるんですけど、シャムのときは聞こえるくらいの大きさで歌ったりしてました。

ものすごくバカっぽいですけど、もしお母さんが、ダイエーとかで息子の曲歌ってる人に遭遇したら嬉しいんじゃないかなーと思ったんです。。

 

さて、話を戻そう。

 

前作から菅原さんも曲を作っていますが、それも新しい力になってるんじゃないかと思います。

今作は1曲でしたが、夏目さん曲とはまた違う澄んだ感触があって、菅原さん曲が入ることでいい風が吹き込んできたというか。

勝手な想像ですが、もう一人ソングライターができたことで、アルバムを俯瞰するようなバランスをとるような力が強まったのではないかとも思います。

とにかく、期待してます。

 

2月にライブを見たときに、すでにAFTER HOURSの曲を数曲やっていて、少し違和感をおぼえたのが素直な気持ちです。

えっ?こんなに爽やかでいいの?みたいな。特にSUNDAYね。
でもアルバムで聴いたら本当によかった。どうよかったのか、説明なんかする必要ないくらいよかった。

なので、大人の皆さんで「いやー日本のインディーズバンドなんて今さらちょっと」なんて思ってる方々にこそ、聴いてほしいです。
ライブに行くのもいいと思います。
シャムキャッツ、ライブめちゃくちゃ楽しいので。

 

私もね、不安でしたよ…三十路も半ばで若者だらけのライブに一人で赴くのは。

でも始まったらそんな不安も吹き飛ばしてくれますよ。
私なんて、一人で行って踊りまくってるうちに大学生の友達できましたからね。

楽しんでる人間を笑うような野暮な人間は、小さなライブハウスにはほとんどいません。いても気にしなくていいんです。踊ってりゃ見えないし。

いかん、長すぎてわけわかんなくなってきた。

だって2年も書こう書こうと思って書けなかったんだもん!
ceroもそうでしたが、熱が高すぎるときは文章にできないですね。私はですけど、高熱のときはtwitterの方が向いている気がします。
というわけで、シャムのライブに関してはまた別記事で書きます。 

 

魂のゆくえ、くるりのゆくえ

この記事は別のブログで書いたものですが、非常に思い入れがあり自分でも気に入っているので、こちらにも転載しました。
2009年6月に書いたものです。
 
 
 
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 今回は6/10発売、くるりのニューアルバム『魂のゆくえ』の感想です。あくまで私の感想ね。長いよ。


まずは、これが発売になるまでの私の気持ちから振り返りたい。

前作『ワルツを踊れ』は不思議なアルバムだった。
ロックとオーケストラの融合、という無謀というか「あ、そこ行っちゃったかーあいたー」ってとこに、ついにくるりは踏み込んでしまった。私はくるりを好きじゃなくなるかもしれない、と思った。
もう、発売前に各方面に吹聴する岸田の「すごいのができた!」が半端じゃなく(この人はいつもそうだけど、絶対逆効果だと思う…)、私も聴く前から食傷気味で。
ところが、聴いてみたらこれが思いのほかよかった。繰り返し聴くと、さらによくなった。
これだけ実験的な試みをして、充分に練って構築されたアルバムなのに、不思議と心地よく、くるりらしさも濃いアルバムになっていた。

ただ、『ワルツを踊れ』を作ってしまい、オーケストラとの共演まで果たしてしまったくるりに、この先どうするの?という不安を抱いたのは私だけではないはず。
なんというか、クラシック音楽を否定こそしなくても、皆あえて無視してるとこ、あると思うんですよ。そこを通過しちゃったら、身動き取りづらくなるから。かといって掘っていっても、そこはもう行き止まりだから。(というか、そこはもう掘れないんだよね。指揮者か演奏家になるしか)

その不安を払拭したのが、その後出たマキシ『さよならリグレット』で、私はもうこれが大好きです。
どう来るかと案じていたら、なんと超POP!それでいてメロディと演奏が抜群に美しい。なんていうか、くるりが答えを出したって感じしたんですよね。あーあたし、くるりを好きでいていいんだって思った。
この1枚は、ほんとに全曲いいんで聴いてない人は聴いてほしいです。

でも次の『三日月』で「ん?」って思っちゃたんですよ。
なんか好きじゃない感じ。なんか取って付けたような感じ。
で、すぐまた『愉快なピーナッツ』が出て。こちらは初期くるりっぽさもなくはないんですけど、これもやっぱ私の中ではそれほどHITしなくて。
なんなんですかね。繰り返し聴くと、やっぱそれなりにいい曲なんですよ。好きなんですよ。でもなんか、『さよならリグレット』の感動が大きすぎたのかもしれないです。

だから、ニューアルバムは出るまで楽しみな反面、こわくもあったんです。さあどうだ、どう来るんだ、って。


で、ようやっと『魂のゆくえ』の感想なんですけど、素直で骨太ないいアルバムだと思います。
ただ、私の中で、くるりのアルバムランキング(※)上位に入ることはないと思います。好みではないし、すごく良くできたアルバムとも思ってないです。でも、きっとここで一度、腹の底から歌いたかったんであろう岸田さんの気持ちはね、わかる気がするんですよ。いろいろやってみて、悩んだりもして、さあどう行くってときに、こういったストレートで飾らない音になった経緯には、合点がいくんですよ。
だから、あと1年とか2年とかして、くるりが別の曲とかを出した後なら、「あぁ『魂のゆくえ』は必要だったよね」って言えるアルバムなんじゃないかと。

私はもう大人で、しかもくるりを愛してるから、くるりが出す曲全てがいいと思えるほどにはのぼせてないし、かといって1曲に失望して嫌いになるわけでもない。
あまり好みじゃない曲でも、そこにふわりと香るくるりらしさが私は好きだし、それがあるうちは待つことができる。きっといつかまた私の胸をいっぱいにしてくれるメロディを彼は聴かせてくれる。そのために、このアルバムは重要なステップな気がします。

まぁそんなわけで、流れとしてはOKなアルバム、個人的にはまぁまぁなアルバム、って感じです。
曲はやっぱりダントツ『さよならリグレット』が好きで、新しい曲だと『Natsuno』『背骨』も好きです。でもくるりのアルバムは、繰り返し聴いてるうちに突然印象が変わることもあるんで、もしかしたら、もっと聴くと他の曲が好きになってるかもしれません。アルバムのことももっと好きになってるかも。


あえて今日は苦言も呈したい。
もうね、くるりの事務所のやりかたにうんざりしてるんですよ。まぁ事務所がしっかりしてて、うれしいことも多いんですけど、なんていうか…あざとい。
プロモーションも増やしすぎだと思うし、携帯サイトとか別に作らんでいいもん作って呼び込みに必死だし、何が嫌ってそのどーでもいいもんに時間とお金を使ってること。それを制作に回したほうが絶対いいじゃん。まぁ多少は必要なんだろうけど、最近はバランス悪ーい気すんだよね。
レーベル始めて、そっちで押してる世武裕子をやたら使うのもいやだ。や、世武さんは悪くないんだけどさ、絶対このコーラスなら他にいい人いたよな、とか、ピアノはエディの方がよかった、とか思ってるファンは多いと思う。
(個人的にピアノが気になる!くるりがこれまでに組んできた、堀江くんやエディに思い入れがあるせいもあるけど。。やっぱり世武さんのピアノは、くるりの曲と調和していない気がする)
別に、物販とかで頑張って儲けるのはいいと思うんですよ。皆も望んでるし。でも音楽はやっぱり、しがらみなしでベストな状態で臨んでほしい。そして音楽で勝負してほしい。

あーこれ、いつか言いたかったから書いてなんかすっきり。でもこれ半分も言ってないけど。


くるりのゆくえ、見守っていくんで、どうか私たちをまたあそこへ連れていってほしい。
くるりしか連れていくことができない場所へ。



はなごえ

アイドルの鼻声ってすごいよなー、どうやって出してんのかな、と思ってテレビ見ながら真似してみたらうっかり習得してしまった。

あれすね、やろうと思ってなかったからできなかっただけで、やろうとすれば案外簡単にできるんすね。
鼻の奥に力を入れて、舌先だけで甘えたようにしゃべればできあがり。

今まで生きてきて、自分があの話し方をする日が来るとは思わなかったので、「俺だってできるんだぞ!」と言わんばかりに旦那さんに披露しました。
話す内容もそれっぽく調整。
旦那さんも「おお!すごい!できてる!」と驚嘆。

別の人間になれたようで楽しかったんですが、さすがにそれを定着させて外で披露する(=そういう人間として新しい人生を送る)勇気はなかったので、とりあえず家の中で鼻声出しまくったら、旦那さんにわりときつめの調子で「それやめて。マジでやだ」と言われてしまいました。
まあそうですよね、(ありがたいことに)そういう女が好きじゃないから私みたいなモンと結婚してくれたんですもんね…

というわけで、披露する機会がないマイ鼻声。
なんとなく悔しいので記しました。
36じゃなんにもならんけど、16で習得していたら人生ちがったんですかね…
気づかなくてよかったよ。


すきだぜ

昔から、自分が誰にも好かれてない、自分でも自分のことを好きになれない、自分が人にどう見られてるか気になって仕方ない、ってループがあってつらかった。
自己肯定力が弱いというか、自意識過剰というか。

だけど30すぎて、やっと少し自分のこと好きになれてきた。
「私なんて」精神は拭いきれてないけれど、自分のこういうところは好きだなって部分がある。

普段まじめなくせに、たまに思いきったことするところ。
好きだって感情を大切にしてるところ。それを隠さないところ。
近づいて抱きしめたくなるような気持ちを、音楽や本や調理用具にもいだけるところ。
だれかのために火事場のくそ力が出せるところ。

今のところはそれくらい。
もっと増やしていきたい。