真夜中おやつ

音楽と紙と料理、そして猫が好きな人の日記。

奇跡は続くよ どこまでも

やっと、やっとceroのことを書きます。
ゲームソフト倫理審査機構のことではありません、Contemporary Exotica Rock Orchestra のほうです。
自分でもちょっと気持ち悪いなーと思うんですけど、2011年からずっと、このceroというバンドに私は救われ続けているんです。
個人的な思い出も含めて、振り返ります。個人的な部分は、すっとばしてもかまいません。


私がceroを知ったのは2011年1月。1st.『WORLD RECORD』が出るあたり。
すぐには聴かなかった。カクバリズムから新しいの出るのかー、へえー、くらいの感じ。
3/11の大震災後、twitterで流れてきた『大停電の夜に』を聴いた。美しい音楽だ、と思った。音楽に見とれるような気持ちをおぼえた。
だけど、あのころは心がひりひりしていて、私は実際に停電も大津波警報もあった太平洋沿いに住んでいたこともあって、大停電という言葉を受け止めきれず、ニ度目を再生することはしなかった。

6月に、好きなひとができた。神様からのおくりものかと思うくらい、一瞬で好きになった。
そのひとと二度目に会ったとき、ceroのCDを手に取ったのを憶えている。
7月に、かなしいことがあった。私はそれまでに聴いていた音楽を聴くことができなくなって、ceroばかりを聴いた。
8月に、私は好きなひとの恋人になった。彼にもceroを勧めた。

思えば2011年は、自分で自分の感情をもてあましていたように思う。
つらいことが多くて、そのつらさが今までに経験した類のこととは違っていて、乗り越えられない自分を責めることが多かった。
うきうきするような音楽を拒んでもいた。大震災後はしばらく音楽が聴けず、聴いても静かな音楽ばかりだった。そこをするりと抜けて、私の心をはずませてくれたのがceroだった。うきうきしても沈んでもいいんだよ、というような音だった。

あんなに好きだったひとの恋人になれたのに、すぐにうまくいかなくなった。むしろ、前代未聞のうまくいかなさだった。
10月に転職した。料理こそするけど、まったく違う仕事、まったく違う職場。引っ越しもした。
情けないようだけど、思いきった転職を大急ぎでした最大の理由は、その恋人だった。環境を変えて関係が好転することを祈った。
結果、仕事も恋もうまくいかない、という最悪の状況で毎日泣いた。

11月、私はクリスマスに渋谷wwwで開催されるceroのワンマンライブに行くかを迷っていた。
なぜ迷っていたかというと、ただでさえなかなか会えない、うまくいってもいない恋人がいるのに、クリスマスの予定を一人で埋めてしまっていいのか考えていたからだ。
もしかして、彼がその日はクリスマスだからと空けてくれていたら、それなのに私が一人でライブに行ってしまったら、より気まずくなるだろう。だけど、予定を尋ねるのもためらうほどの時期だったのだ。
私は11/30まで迷った。その日は私の誕生日だ。
そして12月になり、私はceroのワンマンに行くことを決めた。どうせ恋人とは別れるだろう、だったら自分の見たいものを見よう、ceroはきっと私を笑顔にしてくれる、と思った。行くと決めたら、どうしても行きたくなった。

私はそのころやたらと『入曽』を聴いていた。
これといって明るくも暗くもない、山場がある曲でもないのだけど、陽と陰のあいだに腰掛けて少しだけ陽が見えるような曲だった。

11/21に友達のMちゃんが家に来た。その年のWORLD HAPPINESSで仲良くなった女の子。私たちは急速に仲良くなっていて、音楽以外の話もたくさんした。
彼女はそのとき、ハナレグミ星野源がフェイバリットだったと思う。その彼女に、「私のiTunesで聴いてみたい曲ある?」と聞いてみたら、彼女は「ceroちょっと聴いてみたい」と答えた。
私は嬉しかった。彼女は、なんかいいね、と言った。

2011.12/25、私もMちゃんも渋谷のwwwにいた。
Mちゃんは、「なんかいいね」が「すごく気になる」になり、直前まで迷っていたけど予告映像でのContemporary Tokyo Cruise を聴いて、行くことを決めたと言っていた。
私は10日前に恋人と別れて、精神状態がびりびりだった。ようやくチケットを取ったのに、ライブに行くのをやめようかとさえ思っていた。
だけど私も、どうしてもContemporary Tokyo Cruise が聴きたくなっていた。
ceroが『ワールドレコード』を演ったとき、全部ふっとんだ。
「コンテンポラリー エキゾチカローック オーケストラッ」という声が、魔法のようだった。いやなことをふうっと消して心がうきうきする魔法。

ライブは最高だった。
このことを、1年以上どう書いていいものかと迷っていたけど、もう開き直って書く。うまく表現できなくてもかまやしない、とにかく最高だった。
とにかく、音が楽しいってことが音楽なんだ!と思わせてくれるライブだった。今までの人生で、いちばん楽しいライブだった。ほっぺがきゅんきゅんと上がった。

ライブが終わった後、「2011年は最低の年だと思ってたけど、これでよかったんだ、悪くなかったんだ!」と思った。Mちゃんにそう言ったら、「私も!私もそう思った!」と言って笑った。「来てよかった!」とも言っていた。
そんなふうに1年を塗り替えてくれる2時間ってそうない。
しかも、そのときの熱が冷めた今でも、それは確固たる気持ちとして残っている。あの日、ceroのライブに救われた。あの日のおかげで、2011年はいい年になった。
翌日からの仕事もつらかったけれど、「コンテンポラリー エキゾチカローック オーケストラッ」と唱えるとがんばれる気がした。
私とMちゃんは、12/25のワンマンを「奇跡のライブ」と呼んだ。そして、2012年の目標は「ceroのライブをできるだけたくさん見る」にした。自分の楽しみのためと、2011年を塗り替えてくれたceroへの恩返しを込めて。

そして2012年は、ceroのライブをたくさん見ることができた。見るたびに笑顔になれた。
小さなライブハウスだと同じ顔を何度も見かけるので、友達も増えた。ほんとにいい子たちばかりだ。
それも含めて、Mちゃんと「2011.12/25のwwwから、ずっと奇跡が続いてるんだね」と笑った。
2012年も楽しいことばかりじゃなかったけれど、奇跡のかけらを手にするたびに、悪くないよなって思うことができた。

2012年、いちばん聴いた曲はContemporary Tokyo Cruise だ。
CD-Rを聴きこみすぎて、ライブで歌詞やアレンジが変わるたびに寂しいような気もしていた。
だから、アルバムバージョンを聴くのが少しだけ不安だった。あのCD-Rを聴いたときよりは好きになれないだろうと。

2012.10/24に2nd.『My Lost City』が発売された。こんなに新譜を待ちわびたのは久しぶりだった。
ライブに通っていたので全曲聞きおぼえがあるにもかかわらず、アルバムを通して聴くと涙ぐむほどに感動した。
アルバムに収録されたContemporary Tokyo Cruise は、めっぽうかっこよかった。その裏切りが頼もしく、私はますますこの曲が好きになった

ceroの音楽には物語がある。
それは歌詞や曲名にも表れているけど、それだけじゃなくて、曲調にも物語があると思う。
映画を観終わった後のような満足感が、アルバムを聴いた後に残る。そう、ceroを聴いた後にいつも私が思うのは、残像を与える音楽だなぁということ。
天気のいい日に窓の外を眺めて、目を瞑るとまだ瞼に日差しがのっかっているようなあの感じが、耳に残る。

ceroの魅力を伝えるとき、多くの楽器が使われていることをつい挙げてしまうけど、本当はそんなことじゃなくて。
聴いていると、問答無用にうきうきしたり、世界を急に美しく見せたり、そこに自分だけがぽっかり浮いているような感覚を与えてくれるところだと思う。

2011年を救ってもらっただけでなく、2012年をまぶしくしてくれたceroに私はお礼を言いたい。
音楽はいつだって味方だということ、音楽は音を楽しむことだということ、を改めて教えてくれた。
そんな気持ちのときに、カウントダウンライブをしてくれたこと。本当にうれしかった。Mちゃんやライブで知り合った子と、うれしいねと言い合った。

2013年、ceroは少しだけ遠くに行ってしまうかもしれない。前のようにライブを見られなくなるかもしれない。
だけどceroをずっと見つめていきたいな、という気持ちに変わりはないです。
チケット取れなくなるのは寂しいけど、ceroが売れない世の中なんていかれてるものね!

ceroありがとうー!すきだー!!!